聖和家庭

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夫を慕う、恋慕う悲しみに今、落ちているけど、それは本当に女としての深い愛の世界を味わっている、本当にお母さんは幸いなお母さんだね

大分、秋らしくなりました。夜は虫の声が心地よく、心を癒やしてくれます。
一日の気温の差が激しいのでお身体に気をつけてください。
   

史吉子先生インタビュー1 2007/03/17


〈質問〉

 お父様のみ言葉や原理から見れば、死は終わりではなく、神様とともに霊界で永遠に生きる喜びの旅立ちであるとなるわけですが、実際の多くの食口が、その悲しみや苦しみで、立ち上がれないままいることが多いのです。史吉子先生は、そういう食口にどのようにお話しされますか?


〈史吉子先生〉

 そうですね。夫が霊界へ行くと、聖書にも夫は女の頭だという話があるのですが、その通りに、自分には頭があっても無いような感じ。頭が無い人間というと、何も考えれないし、何もやれないし、意欲も無いしね。そういうひと時があったんですよね。


  食口たちに励まされて、特に子供が幼いから上の子が8歳で2番目が4歳、3番目がやっと生まれたばかりの5ヶ月半でした。だからお父さんがいないからお母さんがもっと元気よくやらないといけないなという、そんな認識があってですね。まあ、泣きたいけれど私には泣く場所がなかったんです。


 それでお父様は励ましながら、夫のぶんまでもっと頑張れと言うしね。だから、いつも子供を食口にまかせて、ずっと巡回とかいろいろ、続けてやったんですよね。


 だからそういう個人的な苦しみを持ち続ける、そういう暇というか余裕が無かったと言えますけど、しかし、夫がいる時といない時の私の思いというのは、やっぱり夫がいたら何も寂しいと思わないけど、やっぱり夫がいないから何をやっても楽しくないし、そういう思いがやっぱりいつも私に迫っていましたよね。


 でもそうとう年月もたったから、私は本当にお父様から励まされたというみ言葉はね、1985年、私はアメリカで宣教していて、テキサスの教区長だったんですけど、お父様はダンベリーに入られたあと、吉子はお母さんのそばに来るようにと、突然教区長会議で呼ばれたのです。


 荷物まとめて、こちらに来なさい、お母さんはあんたが必要だよというので、イーストガーデンでいつもお母さんのお供して暮らしたのが約11ヶ月ですけど、そのダンベリーから出られる、その最後の何週間かしらないけど、自由に1週間に1度ずつ休暇をもらってね、お父様が帰ってきてまた向こうに行かれて、そういうことが何回もありました。


 その時お父様が、お母様を励ますそのみ言葉がとっても刺激的で、感動でした。それは、お母さんは今、夫を慕う、恋慕う悲しみに今、落ちているけど、それは本当に女としての深い愛の世界を味わっている、本当にお母さんは幸いなお母さんだねと。


  もしも夫にそういうことが起こらなかったら、ただ、たんたんと平凡に過ぎる人生を、お父様が大変な立場にいられるから、本当にもう、精いっぱい悲しみ、また恋慕い。


 だから普通の女が感じない世界を、お母様は感じているから、それこそとても貴重な経験だよと。だからお父様はあらゆる悲しみを、みんな感謝して、それを否定的に考えないで本当に希望的に喜びに変えていくんですね。それはとてもお父様はすばらしいですよ。

 だから、ああそうだ、私もそういう思いでね、すべて私にぶつかる、いろいろ悲しみや苦しみとか、これもね、そういうふうに変えていこうと、そこで私は本当に、あの時目覚めましたよ。

 だから今も、夫が恋しいとか、いろいろそういう思いが来るでしょう。そうすると、私は、いやあ、夫がいるからこういう悲しみとか、恋しい思いが来るんであって、もし私が夫がいないという場合は、そんな悲しみも苦しみも、味わうことが出来ないでしょう。


 だからまあ、もちろん一緒に楽しく愛して生きるよりは、それはもう比較は出来ないけど。

 しかし、私の夫に対した恋しさとか悲しみ、これもね、私はまあ、本当に幸福な女だと。だからこの世間には、独身でずっと暮らしている人もいるし、夫婦は一緒に暮らしていても、喧嘩ばっかりして憎みあったりしているしね。

 だからいつまでたっても丁度恋人のように、慕いあう、永遠にこの恋をしているような、そういうある時は甘い、そういうところに自分が酔ってしまうような、そういうふうに考えると、とても自分を克服した、勝利したその勝利感がね、喜びとしてかえってくるんですよね。


  だから私はそういうふうに今は、まあ10年たったら山や河が変わるという韓国のことわざがあるけど、私は37年だからもう、3回以上そういうようにいろいろ変わっていたから、今はその自分の悲しみを私はある面、この喜び、楽しむといおうか、そういう境地まで行ったんですから、本当にそれによって私は救われたなと。だからお父様を近くで見つめていると、本当にお父様はそういう方なんですね。

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