聖和家庭

聖和家庭の恩恵交換の場となれば嬉しいです。

私は一時、栄進兄さんを一生忘れないという思いで指を一本焼こうとしました。

文亨進様 2007.2.12


7年前に一番親しく過ごしていた兄が昇華しました。

栄進兄さんが昇華する前は、私はただ遊ぶのが好きで、

いたずらをして問題を引き起こす分別のない子供でした。


しかし、栄進兄さんはとても模範的でした。

お父様が指示されたことは、一番見事にされました。

皆が栄進兄さんを「聖人」だと言いました。


栄進兄さんが昇華する前は、私は何をすべきか知りませんでした。

ただ社会学や経営学を勉強しなければと思いました。

しかし、栄進兄さんが昇華された後に

人生について悩むようになり、宗教について関心を持って勉強し始めました。


その時からお父様とより真剣に対話し、関係を結び始めました。

事実、父母様は常に世界復帰のために奔走した生活を送っておられました。

ゆえに父母様と共にする時間が少なかったのです。

それでそれに不満を持ったりもしました。


あるときは、教会に通うこと自体が苦しかったのです。

その時、栄進兄さんが

「他の人たちが変わることを願うよりも、お前が変わることが一番早いだろう。」

と言いました。

その時は何の話か分かりませんでしたが、

時と共にその言葉をより理解できるようになりました。


私は天一国民修練会をしながら、

統一教会には、統一教人と分離教人がいるという話をします。

ここで、分離教人とは、自分を中心として壁を作り、人のせいにする人です。

私がまさにそのような人でした。


原理には深い真理があります。私たちは個性真理体であり連体です。

それを忘れてしまえば、真の統一教人になれません。

連体という言葉は、他の個性真理体と連結されているということです。

他の人を迫害すれば、私を迫害するのです。


私が何か上手いからでなく、父母様のおかげで一番良い学校、

安全で豊かなニューヨークの町で育つことができ、

真の家庭の子女なので食口たちから多くの愛を受けました。

しかし、私は感謝を知りませんでした。


しかし、栄進兄さんが昇華した後、たくさん考えました。

価値ある人生とは何なのか、どのように父母様に侍るべきかを考えました。


栄進兄さんは本当に孝子でした。

幼い頃から原理試験を受けたら栄進兄さんが一番でした。

私たち弟妹や2世たちを指導してくれました。

2世たちと修練会を毎週したのですが、2世たちは栄進兄さんを通して

多くの感動を受けました。


栄進兄さんは、自分が理解されるよりも2世を先に理解しました。

2世たちと討論して問題があれば助けてあげました。

栄進兄さんは学校でも成功しました。

成績も優秀で運動も上手でした。しかし謙虚でした。


私は一時、栄進兄さんを一生忘れないという思いで指を一本焼こうとしました。

栄進兄さんができなかったことを、兄と一緒にしようという思いで

そうしようとしました。

指を焼こうとしましたが、しかし妻がそれを止めました。

指を焼きはしませんでしたが、何処に行ってもいつも、いつでも、

年を取って40になって50になって60になっても兄を記憶しているでしょう。


遠い未来に人生を振り返り、栄進兄さんが望んでいたことをすべてしたのか、

兄と約束したことをすべてしたのか、自分自身に自信を持って

問えるよう努力するつもりです。


栄進兄さんの昇華後、私は人生がどれほど尊いものなのか感じるようになりました。

隣にいる食口たちがどれほど大切なのか感じるようになりました。

呼吸できない栄進兄さんを考えると、呼吸できることが、

歩けない栄進兄さんを考えると、歩けることがありがたいのです。

生きているということが感謝なのです。


人々は幸せを得た後に感謝する気持ちをもつといいますが

これは180度間違っています。

かっこいい車があり、お金さえあれば、地位があれば幸せだと思うでしょうが

全くそうではありません。 180度違います。

先に感謝すれば幸せになれるのです。

朝と夜は涼しいですが、日中はまだ30度を超える暑さですね。寒暖の差がありますので健康に気をつけてください。


今日は他の方のブログからみつけた、栄進様が聖和された頃の2代王のみ言葉です。
なんだか読みながら涙が出ました。
栄進様を忘れないで一生懸命生きようという決意で指を焼こうとしたその激しい愛を感じて涙が出ます。


私も夫が聖和した衝撃はなんと言ってよいか、胸が痛くて痛くて、スーパーに行っても食いしん坊の夫がいない虚しさで泣いて、パソコンの試験に合格しても一緒に喜んでくれる夫がいない虚しさに泣いて.......
これは同じ心情を通過した方でないとわかりません。聖和式が終わったあと、栃木の姉妹の家でしばらく過ごしました。その姉妹もご主人を亡くしていました。あの頃、眠れなかった、毎日。(ありがとう、りえさん、ひやちゃん)


お父様も仰っていましたが、聖和家庭同士、助け合わないといけないですね。


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