聖和家庭

聖和家庭の恩恵交換の場となれば嬉しいです。

天国は本当にある




ほんとにお久しぶりです。なんやら忙しかったです。
2月から新しい職場にいるんですが、朝9時から6時のパートという募集で入社しました。
面接の時に9時に現場(ドカタじゃないよ)に着かないといけないこともあるから実際は8時半頃に事務所に来てもらうこともあると聞いていたのですが.......
実際は毎日8時頃に出勤、帰りは6時半や7時に事務所帰りという日がざらで、週4ですがちょっと疲れが溜まりつつあります。おまけに昼休みは1時間しっかりお金引かれているんですが、30分前後しか休めない日もザラでえ?です。
仕事内容は目の見えない方のお仕事のサポートです。一緒に車に乗って、マッサージするお年寄りの家や施設まで連れて行ったり誘導したり目の代わりになってあげる仕事です。
全盲の方ですが、とても明るいし前向きな若者で、リスペクトしております。


さて、輪島の友達が先週泊まりに来ました。掃除したり、おふとんの準備して迎えました。
なぜ泊まりにくることになったかの経緯のメールを添付します。わかりやすく少し編集してます。

〈2月12日〉

お疲れ様です。

毎日列に並んで支援物資や炊き出しでご飯を調達。水が出ないので給水しに行くのも一苦労です。

2月から会社の一角で福祉避難所をするとの事でアルバイトするつもりでした。

でも2月8日に妹がくも膜下出血で倒れ、手術。一命は取り留めました。昨日の面会で、名前を言えたって事で、死んで生き返ったような気持ちです。

まだ注意が必要です。面会は規制されてます。福祉避難所の仕事は来月からでもする予定。

そしたら娘がちょっと心配で…地震を経験して不安定なのか…一応土曜日に横須賀に行こうと思ってる。(娘さんは地震時は輪島に帰省していて、今は横須賀でひとり暮らし)

次から次で、ついていけない感じ。感情を無にして生きてます。

今日、自宅の団地に戻って来た。3階まで水持って上がるのが大変で😰

横須賀には新幹線で行こうかと思ってる。飛行機は時間が合わなくて。

行きは義弟がお風呂に入りに行くついでに送ってくれる。帰りは住民専用のバスで戻ろうかと…。

〈2月13日〉

おはよう。

お願いがあるんですが、まだ横須賀から帰る日は決めてないんだけど、帰る日、一泊泊めて貰ってもいいかな?バスが夜出るのがないので…。

というわけで、一晩泊まっていただきました。寒かったので晩御飯は鍋!を一緒につつきました。家のお風呂に入ってもらって、なんと9時には就寝。私はなかなか朝まで眠れなかったんだけど、彼女はぐっすり眠れたようで良かったです。翌朝、金沢駅まで車で送っていきました。7時半の輪島行きのバスに無事乗車したようです。
ところがこの後、なぜか数日間、憂鬱になって気持ちがダウンしてしまいました。彼女とは色々地震の時のことや、家族のことなど聞きましたが、特に暗いムードにはならなかったのですが....
笑っていても大変な状況ですよね。


さて、私の近況が長くなってしまいました。


今日は映画を2つ紹介します。霊界があることを教えてくれる実話ベースのクリスチャン映画です。私は両方、何回も観ました。


1つ目は「天国は本当にある」です。これは牧師さん家庭で実際に起ったお話です。
小さい男の子が霊界に行ってきたお話です。

生死をさまよった男の子が話す臨死体験が感動を呼ぶ!映画『天国は、ほんとうにある』予告編


次は「天国からの奇跡」です。これも幼い女の子が難しい病気になり、さらに事故で霊界に行って帰ってくるという実話です。その後なんと嘘のように難病が完治するという、感動作です。



映画 『天国からの奇跡』 6.18公開



ぜひ、一度御覧ください。❤

亡くなったあの人と話したい....「亡くなったあの人」の声に気づいてみませんか?

お久しぶりです。いかがお過ごしですか?
私は2月から新しい職場、新しい分野の仕事を始めました。また機会があれば書こうと思います。


能登のボランティアはいよいよ石川の最先端、今回の地震で被害が大きかった珠洲での募集がきました。すぐ募集人数がいっぱいになったようです。機会があれば行きたいです。


                                                                    

                      

  
今日は「亡くなったあの人と話したい.....をかなえる本」の第一章を抜粋してご紹介します。作者は霊能者らしいです。


私は15年ほど前、あることをきっかけに急激に霊感が開きました。


何より驚いたのは、それまで思い込んでいた「人は死ぬと体がなくなって人生がおわる」という考えが、とんでもない間違えだったということです。


またそれら「目に見えない存在」たちはつねに私達の頭上の方から、遺された家族、恋人、友人.......大事に思う人たちを思い続け、様々なメッセージを送り続けているのです。


けれど地上の人たちはあまりそれに気付けません。大事なメッセージが届かないもどかしさで、亡くなった人たちはみなやきもきしている.....そんなこともわかってきました。

亡くなった人たちは、だから例えば足元に小石を投げて気付かせようとしてみたり、風を吹かせてろうそくの炎を揺らしてみたり、私達が思うよりずっと努力して交流しようとしています。


「天国へ行ってしまった大事な人と話しがしたい」

「もう一度、思いっきり抱きしめたい」

「今どうしているか知りたい」

「あのときはごめんねって伝えたい」

などという切ない思いを抱えていらっしゃる人も多いでしょう。そう思っているのは遺された私達だけではありません。亡くなった方も同じです。


生きている私達は、亡くなることで全てが終わると思ってしまいますが、そうではありません。コミュニケーションの方法が違うだけ。その方法を知ることで亡くなった人からのメッセージや声を受取り、会話もできます。もちろん、霊媒体質ではない人も。なぜなら、お互いをつなぐのに必要なのは「大好きという思い」だからです。


亡くなったあの人の気持や温かいぬくもりをもう一度、そして何度も、必ず感じることができるようになります。


亡くなった方は終始一貫して遺されたご家族の笑顔、健康、そして幸せを願っています。

こうした温かな気持ちは、直接伝わりにくいものではありますが、伝わらないわけでもありません。人を思う気持ちというのは、大変強い波動を持っていて、その熱は思いを感じた時点で相手に必ず届くようになっています。


「相手に直接受け止めてもらえたら、どんなに嬉しいだろう」

そんな思いで、亡くなった人は家族や恋人が理解できるようなやり方でサインやメッセージを上手に投げられるように日々考えているのです。

亡くなった方たちからのメッセージは、投げかける方と受け止める方、双方の波動を整えることで、亡き人からのサインに気づくことができるのです。


例えば、わかりやすいサインの一つは、ふと遺影と目が合うこと。

その瞬間、「心配ないよ」「大丈夫」など心に言葉が浮かんだら、それは亡き人からのメッセージです。それ以外にも、街角で亡き人が生前好きだった歌が聞こえる、亡き人との思い出が頭に浮かぶなどのサインがあります。嬉しい気持ちになるならエネルギーをたくさん送ってくれていますし、涙があふれるなら、亡き人が、あなたが思いを向けてくれた喜びに涙しているときです。

私達が故人を思って泣く時は、故人にも遺族にも大きな浄化をおこします。浄化が起こることで古いエネルギーが排出され、私達も新しい元気なエネルギーがどんどん取り込めるようになります。その結果、思いもよらないような劇的な人生の変化が起こるようになるのです。

亡くなった人がどれほど遺された人に会いたがっているか。

どれほど抱きしめたく思っているか。

そしてそれが届かないことをどれほど悔しく思っているか。

その守ろうとする力がどれほど大きく私達に影響しているか。


以上、本からの抜粋でした。これを読みながらある証が思い浮かびました。
前にも一度ここに載せましたが、思い浮かんだ先輩家庭の証を載せます。

真のご父母様のみ言葉 百瀬東一郎(1800双)


  この度のご滞在は、初めの予定では10日間位あるいは2週間になるかもと言われておりましたが、崔先生のご昇華により、結果的には、1月11日夜到着されてから、17日夜発たれるまでの6日間でした。

  迎える私たちにとっては2年ぶりのことですので、それは嬉しい思いと共に、その2年前、「摂理をヨスに移す、もうハワイには来ない」などと言い残された時の重苦しかった思い出が交錯して、複雑な思いでもありました。

  しかし、到着された夜の、それは晴れやかなご様子と、120ヶ国講演勝利の弾むようなみ言葉を賜りながら、全てのもやもやは杞憂と化し、ハワイ摂理再興の強い決意を賜り、本当に感謝いたしました。


 私個人は、18年間、ハワイ海洋摂理の責任を持ってやってまいりましたが、昨年、限界を感じ、後をお任せして辞任。独立してハワイ摂理のシンボルのような立場で影ながらサポートさせていただくことになっておりました。


 そしてその事は既に、お父様の了解済みのことではありましたが、折に触れて何かと気遣って下さっておられるということが、あちこちから漏れ聞かれておりました。そんな立場ですから、今回は本当は隅のほうで目立たないようにという思いで一杯でしたが、今までの流れからついついそうも行かず、ご滞在中何度も気をお遣わせることになってしまいました。


 そして、急にお帰りになることになった17日の朝、次のようなやりとりがなされました。


 訓読会の後、とりあえずのまとめをされて指示をされている中で、突然

「百瀬、今何をしているんだ。」と聞かれ、

「トレーディングのビジネスです」とお答えしました。そして、更に私が

「その他、松崎会長の下で、日本人協会を組織しようとしています」と申し上げますと、

「それをやるにしても、何の基盤もないではないか。松崎!お前が何か準備してあげられるのか」

と松崎会長に問われました。


 そして次の質問が、

「あんたの妻が昇華してから何年か」でした。

「10年になります」とお答えすると、

「長い期間だ、妻は霊的に降りてくるのか」

と言われるので、

「最初の3年ぐらいは、いつも一緒にいると実感していました」と答えました。

おそらくこの私の返事を、後の7年は遠のいていると受け止められたのだと推測されますが、即

「祈らなくてはならない。祈っているのか」と言われました。


  ここでちょっとどう答えていいか迷いましたが、お父様の言われたい流れに沿うようなつもりで、

「あまり頼らないようにしようと思っておりましたので」とお答えすると、

そうではない、協助を祈るんだ。決して忘れてはいけない。霊界に行って難しくなる」。

そして

「あんたがビジネスやるにしても、奥さんとよく交流しないと難しい」とも言われました。


 そして、周囲の幹部の先生方に、「同じような境遇の者たち同志で協力し合うことが出来るようにしなくてはいけない。Joe Tullyとかもいるだろう」と指示されました。

 ちなみに、Mr.Tully(1800双)も奥さん(早苗さん)をハワイでなくし、5年前ハワイ摂理が始まった時、私と兄弟のようにして一緒に住んでやるんだと言われておりました。そしてその時は、私とMr.Tullyをつかまえて、「あんたがた、妻を捧げたんだから、子供も捧げて先頭に立て!」と厳しく押し出されました。

 心配していただく価値もない者と思うにつけ、誠に申し訳なくも恵みある一時でした。


           (コナにて、二〇〇六年一月十七日)


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Hello From Heaven! 愛するあの人と、また必ず会える④

お久しぶりです。北陸は雪です。被災地の方々のことを思うと胸が痛いです。


今日はまず、輪島にいる友人からのラインを載せます。(ちょっと編集しています)

(1月9日) 

電気は昨日来ました。マジ嬉しい。 断水は続いてます。多分数ヶ月は掛かるんじゃないかと。 輪島ほぼ壊滅状態です。道路は亀裂やボコボコ、運転怖いし、ガソリンも少ないので歩いてます。 自分の家の県営住宅は何とか大丈夫。水とか通った時に故障が見つかるかなー。今は妹宅でしばらく過ごします。 会社(高齢者ケア施設)も水が出ないので環境は劣悪。雪でトイレの流す水を確保してます。一階のデイルームで過ごしてますが、何時まで続くか不明。 出て来れる職員も限られているので、夜勤続き。地震直後の2日ほどはお菓子でしのぎましたが、会社でカップラーメンや避難所からパンなどもらってます。あとはお風呂ですね。着たきりすずめで仕事してます。ファブリーズ命。自衛隊のお風呂も始めてるみたいなので、いつか行ってこようと思ってます。

輪島はほぼ壊滅状態。青空が悲しい。

空襲あったのかなと思うくらい。


(1月14日)

今日、自衛隊のお風呂に行ってくる予定。

今日は夜勤明け。最初の10日程は続けて仕事だったけど、今は丸一日の休みがあります。徐々に利用者さんが金沢等に搬送されてます。

みんなで失業😅だねと言ってますー

実家の地区は閉鎖地域となり、姉家族と母親は金沢に避難したよ。2年は難しい。とりあえずの避難だけど、水が出るので安心かな。

そんな地域が多く、輪島…いや能登半島自体が…どうなんだろう…。断水はかなり長期に無理だろうと思う。

毎日目の前の事をこなし、生きることに精一杯かな。


(1月15日)

今の段階では仕事があるので何も考えられないから。でも今月中には利用者さんたちは何処かに移送されそうです。

母親達も一時的な避難で2ヶ月間でその間に次を考えないと駄目で…。妹たちとあれこれ話してるところです。


とにかく仕事がどうにかならないと…。毎日、水と食料を調達しにあちこち回るので体力消耗してますわ😅

(私が輪島に行ってなにか助けられたらいいのだけれど、と話すと)

道が悪いから今は来ないほうがいいと思う。凄く時間掛かるし、土砂崩れあるところとかあるし。


ある程度備蓄していたけど、水はどんどんなくなるから、常に補充してないと不安。

歩いて回ってるから、余計しんどいんだね。

水ないから、ウエットティッシュとかおしりふきとかすぐなくなるから



(1月23日)

お疲れ様です😃

状況は余り変わらない感じですね。今日最後の利用者さんが亡くなられました。

あとは苑(職場)の方針がどうなるか何も言われてません。

私、コロナに感染してしまって、10日間出勤停止なので情報が…。今は陰性になって、咳は出ますが復活してます。


自衛隊のお風呂は良かったです。水圧がちょっと弱かったけど、さっぱりしました😃

もー風呂は1週間に1回で十分だわ😅

また雪が降るのが心配😰


輪島にいけるようになったら会いに行って色々お話を聞きたいと思っています。
たくましく頑張っていらっしゃります。


さて、今日も愛する家族に先立たれたあとに、死者からメッセージをもらった体験を本から抜粋します。


ゲイルは、ペンシルベニア州で看護婦をしている。二人の息子、26歳のマットと24歳のエリックを自動車事故で失ったが、それから6週間後、胸にあらたな希望が湧いてきた。


毎晩夜中になると外に出て、玄関のポーチの階段に座って、ただ泣き続けました。つらくてどうしようもありませんでした。そんな日が、ずっと続いていたんです。

10月の半ばでした。月を眺めていたら、不意に温もりを感じたんです。マットが左側から、エリックが右側から、肩を抱いてくれたのがわかりました。マットが左側だとわかったのは、彼のほうがずっと背が高いからです。マットは190センチ、エリックは180センチでしたから。

二人がこう言うのが聞こえてきました。「お母さん、安心して。僕たち元気だから。そんなにくよくよするなって。今に何もかもうまくいくからさ」


あんなに気持ちが安らいだのは、二人が亡くなってから初めてでした。とても嬉しかったです。

僕らは元気だから、そんなに悲しまなくていいと言われて、本当に救われました。あの出来事がきっかけになって、それからだんだん眠れるようになったんです。


二人のわが子を一度に失った親の途方もない絶望を、一体どれだけの人が想像できるだろう。ゲイルは悲しみの中で、3つの幸いを受け取った。二人の息子が、肉体から離れた後も、なお生きているということ、二人が一緒にいるということ、そして、二人とも元気だということ。



バージニア州の社会福祉団体で働くブレンダは、42歳の夫ラッセルを心臓発作で失った。


ラッセルと、いつも言ってたんです。どっちが先に死んでも、死んだほうが残ったほうに何とかして連絡をつけようね、って。彼は本当に、そうしてくれたんです。

彼が亡くなってひと月近くたったころ、仕事場で机に向かっていたら、ふいにバラの花のなんともいえない甘い香りが漂ってきました。まるでバラの花束が机の上にのってるみたいな、鼻のすぐ下にあるみたいな、それはそれは強い香りなんです。ラッセルからだって、すぐわかりました。

あたりを見渡しても、もちろんバラなんてどこにもありません。ほかに香りをかいだ人もいません。私だけでした。香りはしばらく去りませんでした。その間私は、深いやすらぎにすっぽりと包まれていたんです。

ラッセルは私の誕生日とか、何かの記念日とか、なにかにつけ仕事場にバラの花束を届けてくれたものでした。だからすぐわかったんです。ああ、また彼がお得意の手でもって、「愛してるよ」って伝えてくれたんだな、って。


ブレンダの報告には、「先に亡くなった方が残された者のところへ何とかして戻ってこよう」という、生前の約束のことが述べられている。夫婦間や他の親密な家族同士、友人同士の間で、そうしたいわば「契り」が交わされるには、よくあることだ。


生前に夫婦でどちらかが先に霊界に行った場合の「今、そばにいるよ!」のお知らせを二人で約束しておくのもいいですね。うちもそういう約束が出来ればよかったのですが、彼は意思疎通ができなかったから、お別れも言えませんでした。


寒い日が続きます、お体に気をつけてくださいね❥ 読んでくださってありがとうございます。