聖和家庭

聖和家庭の恩恵交換の場となれば嬉しいです。

彼を誇りに思い、いとおしく思います 笹本知恵子さん

先輩家庭の犠牲と愛に感謝します。


アフリカのタンザニアで1980年12月18日に殉教された笹本正樹さんの奥様の証し その1


 昇華家庭の皆様、愛する人を霊界に送った同じ事情を通過した者に通ずる心情があり、お互いに助けることが出来ましたら、神様、御父母様に喜んでいただけると思いまして、書かせていただきます。


 皆さまより少し先輩であり、少し長く未亡人の立場を歩んでおりますので、参考になるかもしれません。皆様も神様しか知らないところで、涙を流すことがあるでしょう。私も山あり谷あり、神様と語らせていただき、御父母様の心情をたどり過ごしてまいりました。


 私の愛する夫はタンザニアで、1980年12月18日、昇華致しました。タンザニアの国が社会主義であり、ある意味で厳しい国であることを知っておりましたが、自分の任地国マラウィを追放され申し訳ない心情と共に、もっと厳しい国、タンザニア宣教師になることを自分で求めてなりました。タンザニアに入国し、キリマンジェロの山に登頂し、神様の創造の偉大な世界に触れ、慟哭した証が届いております。


 私達は日本で家庭を持ち、一ヶ月ザンビアで一緒に過し、タンザニアは厳しいというので、私はザンビアで彼を待ち、主人はタンザニアで宣教を始めました。私は八一年の神の日を共に過ごしたい気持ちで、主人にタンザニアに行きたい希望を手紙に書きました。来てもいいという返事がありましたので、行く準備を進めている時、私の部屋に泥棒が入りました。小さなハンドバックに入れていたパスポートが無くなりました


 それで、予定を延ばし、新しいパスポートを作るため、大使館に行ったり、タンザニアに入国するビザを申請するようにしていました。主人に電報をうって、クリスマスの時に会いましょうと書きました。12月18日に昇華しましたから、私を生かすためにタンザニア行きが延びたのでしょうか。


 彼が宣教に行って5ヶ月過ぎた時、12月22日に大使館の方が、私の住んでいるところに来られました。そして、「あなたのご主人が亡くなりました」という連絡を受け、その夜一人でロウソクをともし、神様に泣いて祈りました。
「どうして彼が死ななければならなかったのですか?まだ家庭を持ったばかりなのに・・・死ぬような場面にあっても、死ななかった証を沢山聞いていますが・・・」


祈祷をしている間、過去に神様が私達を愛して下さったことを思いだしました。私が泣いているより、神様が全て知っておられて、そのようにしなければならない事情を思うようになりました。
そして、神様が私の心に「今度はケニアに来るんだね」と、語られたその時、神様が私に、もう一度アフリカに来ることを望んでおられることを知りました。


  1981年1月2日。ニューヨークで真の御父母様に会わせていただきました。
「あなたがアフリカに行くことは良いことだよ。早く行くんだね。お金がないだろう」と言って、財布のお金を下さいました。
「ありがとうございます。お父様、タンザニアの地をありがとうございました。生きて御旨を果たせず、申し訳ございません。これからは妻を通してがんばります。」と、私の口を通して主人がお父様にお話し致しました。それから、主人に代わって、私の宣教師としての人生が始まりました。


  自分の個人路程七年間がありました。子供を授かるまでの路程は、ある意味で孤独な歩みでした。主人が昇華した後の一年ほどは、今振り返れば普通の情ではなかったかもしれません。足が地に着いていない自分、小さな出来事、言葉が心に響き、すぐ涙がでるのです。周りの方にも迷惑をかけたかもしれません。
 そして、いつも御旨の最前線で歩む必要がありました。人の生活と比較する自分をやめるように、自分に言い聞かせました。
「あの人はいいな、夫がいて。あの人はいいな、子供がいて・・」と、比較し始めると、足が動かなくなります。背負っているものが違うので、比べることはできないのに、比べる自分がいました。


 二度ほど再祝福の話がありました。決まりませんでしたが、一度はアメリカから、お母様が写真を出すように言われたとのことで、送りましたが、お父様が「三年過ぎないとどうすることもできない」と、語られたとお聞きしました。そのときは、二年半ほどでした。


 もう一度日本から送るようにと、お手紙がございましたが、決まりませんでした。
私の心の中には、常に二つの心がありました。一つは再祝福を授かって、夫に愛され、子供を生んでみたい、という心と、もう一つは子供を養子に迎え、生涯を一人でいく道でした。神様が生涯一人で行く道を願っておられたらどうしよう。生涯一人で50年、愛の問題に引っかからず生きていける自分に自信がなかったからです。


 それでも、神様がそれを願っておられたら、それを受ける自分にならなければと、心の準備をする必要がありました。
 祈祷しました。心の中で模索しました。その中で、神様は親であるがゆえに、お父様が一人で生きる道がいいと言われるならば、その道は、私にとって幸福に行き着くはず、と確信したのです。その確信を生涯信じていこうと思いました。


 郭先生とお会いしたとき、自分の二つの気持ちを、お伝えしました。じっと聞いてくださり、「お父様にお尋ねします」と言われました。一年後、もう一度お会いいたしました。その時、「子供を養子にとりなさい」と言われました。私は「はい」と答えることが出来ました。その時、郭先生に「私の子供は父親なしに育つことで大丈夫でしょうか」とお聞きしました。先生は少し時間をおいてから「大丈夫です」と言われました。


 養子は三位基台から授かりました。私が決意したとき、その子供は生まれて二ヶ月でした。
神様が私の為に準備していておいて下さっていたことに、心から驚きと感謝で一杯でした。私は神様に、養子を授かるなら、男の子と女の子を授かりたいと願いました。一人であれば、淋しい思いをすると思ったからです。


 その後、正樹さんの霊の娘が三つ子を授かり、女の子を幼女に授かりました。子供を授かってから、以前に悩んでいた自分が嘘のようになくなりました。四位基台の中に幸せの基台があることを知りました。


 ケニアで12年間、ロシアで1年半、タンザニアで2年半、ニュージーランドで1年、その後帰国して8年になります。ひとりで父親と母親の役目をするので、どうしても働いて、稼がなければなりません。
 その間子供たちは、沢山淋しい思いをしたことと思います。小さいとき、私が仕事から帰ると、窓の所に、どうして時間が分かるのか、つま先をたてて外を見ながら、帰ってくる私に「ママ、ママ」と呼んでいたことを思い出します。本当に休みたいと思っても、生活が出来ないので頑張らなければならないことがありますが、頑張ってきました。子供が大きくなれば、助けてくれるし、優しくしてくれます。


 苦労したり、痛みを通過してきた私達は、人を思いやってあげることが出来るので、心が神様に近くなると思います。真の御父母様が全ての苦労を通過してこられたので、私たちの事を分かって下さるのがよくわかります。だから、怒らず苦労していかなければならないのでしょう。


 ロシアに滞在している時、同じように相対者を霊界に送った兄妹がいました。一人はリンダ・シャピロというアメリカ人の女性で、ご主人はアフガニスタンで新聞の写真を撮っていて、殺されました。私と同じ様に、一ヶ月ほどしか生活していなかったそうです。彼女は宣教師としてロシアに居ました。もう一人はブルガリアの宣教師でオーストラリア人のクリスチャンという人でした。


 彼は夢を見て、神様から、「ブルガリアの条件が足りないので、貴方の大切なものを捧げてもよいか」と聞かれて、「真の御父母様の為だったら」と、答えたそうです。次の日、愛する奥様が車に轢かれて昇華されました。二人の幼い女の子を抱えて、男一人で大変そうでした。


 私たちは同じ事情を通過してきましたから、三人でよく本音で話をしました。シャピロは祝福を受けたいと思っていました。ウェディングドレスも準備していました。部屋は綺麗にしていて、他の昇華した人達の為にも祈祷する人でした。少し霊通もしました。ご主人が彼女に、「いつも傍にいるよ」と、語りかけ、ゴーストのように、「僕は貴女が見えるけれど、君は僕が見えないんだ」と言われたそうです。
 このことは、私の主人も霊能者を通じて話した時、言っていました。今彼女は、女の子を養女に授かって、アメリカに住んでいると聞いています。


 クリスチャンは奥様が霊的に来られ、一緒に過した事を語っていました。男手で子供たちを育てていくのは大変なことでしょう。ロシアで語り合い、祈祷しあいました。私達は会うだけで、同じ事情を通過しているので心が近いのです。


 ロシア滞在中、霊的な人から、私の主人が、「霊能者を通じて話したい」と言ってきました。
私はすぐ韓国の霊能者を紹介していただき、会いに参りました。
 彼は私に「愛している」と言って、あまりかわいそうで見ていられないので、再祝福を受けてもらいたい、という内容でした。私は再祝福を受ける気持ちを閉ざしているので、それを開くのが難しいと言いましたが、もう一度御父母様にお尋ねしようと、再祝福の申し込みを致しました。


 彼が現れて再祝福を勧められたことを郭先生にお話しすると、「真の愛だね」と、言われました。
でも、韓国統一教会40周年記念で笹本が選ばれ、賞を授かりました。次の日、霊的に主人が来て、夫婦生活を体験いたしましたので、郭先生にハガキを出して、「再祝福の願いを取り下げたい。四十周年の賞を授かってから主人が私の元を訪ねてくるようになりました。」とお伝えいたしました。郭先生は、とても喜ばれて、色々なところで、私達の証をされたとお聞きいたしました。


 やはり嬉しかった事は、統一教会創立40周年の時、彼が表彰されたことです。たくさん昇華された方々のなかから、お父様は三名選ばれました。殉教者として選ばれる尊い心を持っていた彼に、誇りを持っています。でも、彼が亡くなった時よりも今のほうが、もっと彼を近く思います。20数年たって、彼が本当に愛おしくてたまらない時があります。


 私は主人が来るとバイブレーションがあります。霊眼が開かれていないので、私には見えません。私は自分が霊的になって、体が知らないうちに動かされていたり、言葉を語ることがあります。霊界からは私達が見えるけれど、私達は見えていない。コインの裏と表のような関係だと言われます。振り返ってみても、いつも守られてきたと確信しております。


 私はニュージーランドで 御父母様にお会いさせていただきました。心の中で、
「お父様、私は幸せです。本当にありがとうございました」と語らせていただきました。
 興進様は若くして霊界に行かれまして、薫淑様と地上で一緒に生活されておられません。私達の見本です。たくさん真の御父母様に親孝行されておられます。不平不満は語られません。
あっという間の人生です。がんばりましょう。



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