聖和家庭

聖和家庭の恩恵交換の場となれば嬉しいです。

Hello From Heaven! 愛するあの人と、また必ず会える②

皆さん、お元気ですか?私は職場が変わって環境になれるのに大変でした。通勤も一時間かかるし、渋滞にあうし、狭い駐車場で車のお尻をぶつけてしまいました(´;ω;`)
今の仕事は観光地での販売の仕事なんですが、お客さんに味見をどんどんさせて、イケイケで売らなくてはいけなくて....「この仕事、私には合わない!」と一週間で派遣会社に泣きつきました。
私自身もお店で販売員に積極的にこられると苦手なタイプなのに、自分の嫌なことを人にできないよお。(ファンダレイジングは得意だったのよ、これでも)
でも外国人がたくさん来るので、そこは刺激になりました。休憩時間に、言えなかった英単語を調べて、次は話せるようにとメモしています。何度も挑戦して諦めた観光ガイドの資格の本を買って、再挑戦しようかとも思っています。


今日も亡くなった方とのコミュニケーションの証で、〈声が聞こえる〉という体験です。
では!ハンカチのご用意を☺


ワシントン州で企業の採用係として働く31歳のシェリーは、37歳の夫スコットを脳動脈で失った。

クリスマスの3週間ほどあとでした。友人の家の居間で、眠りこけていたんです。午前3時か4時ごろ、何か聞こえたような気がして目が覚めました。

スコットの声でした。すごくはっきり聞こえるんです。声も話し方も、いつものまんま。外からの通信でしたよ。明らかに、どこかよそから聞こえてきましたから。

何も心配はいらないよ。困ったときには、必ず誰かがきみを助けてくれるから」って。とても頼もしくて、彼には何もかもわかってるんだな、って気がしました。それに、その言葉を聞いたときから、たとえスコットがいなくても何とかやってけるんじゃないか、って気がしてきたんです。

ともかく、あの出来事以来、世の中がすっかり違って見えるようになりましたね。背負っていた重荷が取れたんです。



ウィッキーは36歳。フロリダ州で管理職についている。心臓発作を起こして66歳で急死した父親が、彼女を慰めに来て、立ち直らせてくれたという。


父の死に目に会えなかったんです。そのせいで、他の家族より、もっとつらく感じたんでしょう。立ち直ろうと思って、2週間の休暇を取りました。

それでも、仕事に戻った最初の日、帰りの車の中で、とうとう耐えられなくなりました。あとからあとから涙がこみ上げてきて、仕方なく、道路脇に車を止めました。ハンドルに両腕をあずけて、そのあいだに顔を埋めて、ただ泣きじゃくっていたんです。

2分ほどたったころ、ふと気がつくと、車の中に誰かがいるんです。そのとたん、あったかい雲にすっぽりと包まれたような気持ちになりました。そして父の声が、鐘の音のようにくっきり聞こえてきたんです。元気なはりのある声でした。

「お父さんは元気だ。幸せにやっているよ。どうかお母さんを大事にしておくれ。」

そんな言葉が、耳から聞こえてきたんです。

あれは奇跡でした。あのほんの一言で、私の心は愛と嬉しさでいっぱいになって、傷はあとかたもなく拭い去られてしまったんです。父が本当にやすらいでいることが、わかったんですもの。それを堺に、私は別人みたいに元気になったんです。



テキサス州在住のクラッシック音楽の専門家ローダは、19歳のとき、心臓発作で他界した祖父と出会ったのをきっかけに、人生がかわった。


祖父が亡くなってから、ちょうど48時間後でした。目が覚めて時計を見ると、午前2時10分でした。そのとき、祖父が来ているのがわかりました。私のベットの向こう側に立っているのを感じたんです。祖父は、こんなことを言いました。

「こっちは万事言う事なしだ。だから私のことはもう心配しなくていいと、みんなに伝えてくれないか。私は満足している。地上でやるべきこともみんなやった。それも伝えてほしい。それから、みんなを愛しているということも。」

声を聞いたわけじゃありません。思いとか考えが、そのまま伝わってきたんです。まったくテレパシー的なもので、私はただ、それを受け取っただけ。とてもやすらかな気分でした。やすらぎにどっぷり浸っているような.......。

祖父は、本当のお別れを言っていたんです。祖父にはそれを言うことが必要だったし、私もそれを聞くことが必要だったという気がします。

いずれにしても死後の生について、これほど力強い言葉を聞いたことはありませんでした。このときから私は、人生の意味をより深く探求することに駆り立てられていったんです。



フロリダ州の主婦ルースは、18歳の孫のトーマス(トミー)を自動車事故で失ってから1年近くたったころ、彼にお願いごとをされ、喜んで聞き入れた。


ある日、娘のサリー(亡くなったトーマスの母)がこう言うんです。「お母さん、私の誕生日には何もいらないわよ。お願いだから何もしないでね。私がほしいのは(亡くなった)トミーだけ。あの子がいないんですもの。」

誕生日の朝、せめてカードだけでもと思い、7時45分に車で家を出て、娘の仕事場へ向かいました。あと何ブロックかで着くというとき、頭の中でトーマスの声がするんです。

「おばあちゃん、紅いバラを一輪買って、お母さんの誕生日のプレゼントに届けてほしいんだ。」

「まあ、トミーなの?」、そう言ったとたん涙が溢れてきました。「わかったわ、必ず持っていくわ。」と言うと、トミーは「それからお母さんに、愛してる、って伝えてね。」ですって。

さっそく花屋に向かいました。でも、店は9時まで開きません。次も、次もみんな同じ。その時間に開いている店は、1つもないんです。

次にトーマスの声がしたときも、まだ8時15分でした。

「頼むよ、おばあちゃん、お母さんに紅いバラを買って。」

南へ向かって走り出すと、「Uターンして北へ行くんだよ。」と、言われたとおりに走っていくと、何と10ブロッグも行かないうちに、『花屋』の看板が見えるじゃありませんか。大通りからだいぶ入ったところで、そんな店があるなんて少しも知りませんでした。

まだ8時25分、この店も、開店は9時でした。でも、ちょうど女の人がドアに鍵を差し込んでいるところでした。おまけにそのドアには、『大安売り!紅いバラ1本1ドル!』と、でかでかと書いてあるんです。私が無事に紅いバラを手に入れると、もうトーマスの声はしなくなりました。

サリー(トーマスの母)の仕事場に行って、バラを渡しました。『トーマスより』と私が書いたカードを添えてね。顔を見合わせて、二人とも泣いてしまいました。「トーマスから頼まれたのよ、あの子ったら、お店まで教えてくれたわ。」と言うと、娘はますます涙にむせぶばかりでした。



次回は愛する故人と身体が触れ合ったと感じた体験です。ありがとうございました☺

Hello From Heaven! 愛するあの人と、また必ず会える①

今日からまた本の内容を少しずつ紹介していきます。
今回、紹介する本は「死者とのコミュニケーション」の調査と研究に精力的にとりくんでいる著者が集めた証集です。とても興味深く、感動的な内容です。そして聖和家庭にとって、とても希望が湧く内容です☺ 私が強く印象に残ったケースを何回かに分けて書いていきます。シリーズものです(>ω<)


この著者はアメリカの方ですが、よく受ける質問が「一体どのくらいの人が故人とのコミュニケーションを体験しているのか」ということで、著者の調査によれば控えめに見ても合衆国の総人口の20パーセント、少なくとも5千万人のアメリカ人が、一度以上のコミュニケーション体験を持っている、そして、子供や配偶者に先立たれた人や親を失った子どもなど、愛する者の死を悲しんでいる人々のあいだでは、この率が劇的に高くなる、とのことです!



それでは、具体例を載せていきます。ハンカチの準備してね(´;ω;`)


バージニア州に住む自営の職人アイリーンは、22歳の娘トレイシーを自動車事故で失ってから半年後、喜びあふれる再会をしている。


夕方の5時ごろ、まだ夫と一緒のうちの畑にいるときでした。その日は重労働だったから、それまで池のそばでのびていたんです。起き上がって、トラクターまで何かを取りに戻りました。いつものように、急ぎ足で歩いていきました。

そのときふいに、なんと娘のトレイシーが、私と並んで一緒に歩いているのに気づいたんです。ぴったり歩調を合わせて、勢いよく大股に歩いているんです。それがわかったとたん、愛しさと嬉しさが、いっぺんにこみ上げてきました。信じられませんでした。まるで、幸せを胸いっぱいに吸い込んでいるみたいでした。

誰かと並んで、前を向いて歩いているときと同じなんです。となりに誰かがいるのは、ちゃんとわかるでしょう。誰かがいる気配を身体で感じますよね。ちょうど、そんな感じなんです。

ふと気がつくと、娘はもういませんでした。でもそんな体験ができて、信じられないほど嬉しかったです。

どうやら他界した家族は、私達に切実に必要とされている間は、そばにとどまることができるらしい。そして慰めをあたえてくれば、人生の難局を乗り切る力を貸してくれることもあ
る。そうしたコミュニケーション体験は、彼らが私達に、いつまでも変わらぬ愛を注ぎ続けてくれるということのしるしのようだ。~筆者より


ワシントンDCで心理療法士をしているエリナは、高校生のころ、心臓発作で他界した父親が何度も訪ねて来るという体験をしている。


父はとってもやさしくて、神経がこまやかで、頭のいい人でした。父が大好きでした。いろいろと、苦労が多いひとでしたけど。

亡くなってから何年かのあいだ、ときどき父が来るのに気づいていました。父そのものって言うか、父がまるごとそこにいるっていう感じがするんです。元気だったころと、少しも変わりませんでした。ほかの誰でもない、温かくて頼もしい父でした。

私を励ましてくれました。「しっかり生きていくんだよ。」って。「お父さんが死んだからって、くじけちゃいけないよ。」って。

今回は亡くなった方の気配を感じた例でしたが、次回は声が聞こえた例を紹介します😀


私は一時、栄進兄さんを一生忘れないという思いで指を一本焼こうとしました。

文亨進様 2007.2.12


7年前に一番親しく過ごしていた兄が昇華しました。

栄進兄さんが昇華する前は、私はただ遊ぶのが好きで、

いたずらをして問題を引き起こす分別のない子供でした。


しかし、栄進兄さんはとても模範的でした。

お父様が指示されたことは、一番見事にされました。

皆が栄進兄さんを「聖人」だと言いました。


栄進兄さんが昇華する前は、私は何をすべきか知りませんでした。

ただ社会学や経営学を勉強しなければと思いました。

しかし、栄進兄さんが昇華された後に

人生について悩むようになり、宗教について関心を持って勉強し始めました。


その時からお父様とより真剣に対話し、関係を結び始めました。

事実、父母様は常に世界復帰のために奔走した生活を送っておられました。

ゆえに父母様と共にする時間が少なかったのです。

それでそれに不満を持ったりもしました。


あるときは、教会に通うこと自体が苦しかったのです。

その時、栄進兄さんが

「他の人たちが変わることを願うよりも、お前が変わることが一番早いだろう。」

と言いました。

その時は何の話か分かりませんでしたが、

時と共にその言葉をより理解できるようになりました。


私は天一国民修練会をしながら、

統一教会には、統一教人と分離教人がいるという話をします。

ここで、分離教人とは、自分を中心として壁を作り、人のせいにする人です。

私がまさにそのような人でした。


原理には深い真理があります。私たちは個性真理体であり連体です。

それを忘れてしまえば、真の統一教人になれません。

連体という言葉は、他の個性真理体と連結されているということです。

他の人を迫害すれば、私を迫害するのです。


私が何か上手いからでなく、父母様のおかげで一番良い学校、

安全で豊かなニューヨークの町で育つことができ、

真の家庭の子女なので食口たちから多くの愛を受けました。

しかし、私は感謝を知りませんでした。


しかし、栄進兄さんが昇華した後、たくさん考えました。

価値ある人生とは何なのか、どのように父母様に侍るべきかを考えました。


栄進兄さんは本当に孝子でした。

幼い頃から原理試験を受けたら栄進兄さんが一番でした。

私たち弟妹や2世たちを指導してくれました。

2世たちと修練会を毎週したのですが、2世たちは栄進兄さんを通して

多くの感動を受けました。


栄進兄さんは、自分が理解されるよりも2世を先に理解しました。

2世たちと討論して問題があれば助けてあげました。

栄進兄さんは学校でも成功しました。

成績も優秀で運動も上手でした。しかし謙虚でした。


私は一時、栄進兄さんを一生忘れないという思いで指を一本焼こうとしました。

栄進兄さんができなかったことを、兄と一緒にしようという思いで

そうしようとしました。

指を焼こうとしましたが、しかし妻がそれを止めました。

指を焼きはしませんでしたが、何処に行ってもいつも、いつでも、

年を取って40になって50になって60になっても兄を記憶しているでしょう。


遠い未来に人生を振り返り、栄進兄さんが望んでいたことをすべてしたのか、

兄と約束したことをすべてしたのか、自分自身に自信を持って

問えるよう努力するつもりです。


栄進兄さんの昇華後、私は人生がどれほど尊いものなのか感じるようになりました。

隣にいる食口たちがどれほど大切なのか感じるようになりました。

呼吸できない栄進兄さんを考えると、呼吸できることが、

歩けない栄進兄さんを考えると、歩けることがありがたいのです。

生きているということが感謝なのです。


人々は幸せを得た後に感謝する気持ちをもつといいますが

これは180度間違っています。

かっこいい車があり、お金さえあれば、地位があれば幸せだと思うでしょうが

全くそうではありません。 180度違います。

先に感謝すれば幸せになれるのです。

朝と夜は涼しいですが、日中はまだ30度を超える暑さですね。寒暖の差がありますので健康に気をつけてください。


今日は他の方のブログからみつけた、栄進様が聖和された頃の2代王のみ言葉です。
なんだか読みながら涙が出ました。
栄進様を忘れないで一生懸命生きようという決意で指を焼こうとしたその激しい愛を感じて涙が出ます。


私も夫が聖和した衝撃はなんと言ってよいか、胸が痛くて痛くて、スーパーに行っても食いしん坊の夫がいない虚しさで泣いて、パソコンの試験に合格しても一緒に喜んでくれる夫がいない虚しさに泣いて.......
これは同じ心情を通過した方でないとわかりません。聖和式が終わったあと、栃木の姉妹の家でしばらく過ごしました。その姉妹もご主人を亡くしていました。あの頃、眠れなかった、毎日。(ありがとう、りえさん、ひやちゃん)


お父様も仰っていましたが、聖和家庭同士、助け合わないといけないですね。