聖和家庭

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愛は死を超えて(1) 亡き妻との魂の交流

 


上の本を読みました。心が温かくなる本です。
印象に残った内容を紹介しようと思います。癌でこの世を去ったカトリーヌという奥様との時空を超えた交流を御主人様が書いた本です。


  • その時、私は聞いた。「ダーリン、大丈夫?」という声を。私は飛び上がった。『ダーリン』だって!カトリーヌは、この上なく愛しいと思うとき、私をそう呼んでいた。しかし、そんなことなんて完全に忘れていた.........。もう疑いようなどなかった。今話しているのは、まさに彼女自身である。私の想像力のなせる業なんかではない!突如として深い喜びがいっぱいに広がった。コミュニケーションできたのだ!カトリーヌは約束を守った。すべてが正常に戻るのだ。
  • ものごとはあるべき元の場所に戻った。別れは取り消されたのだ。
  • 「ぼくはどうすればいいんだい?」「完全に頭を空っぽにするの。何も考えちゃいけない。何もね!そうすれば私の言葉は,なんの影響も受けずにはっきりと聞こえるはずよ」「意志と、それに訓練が必要ね。でもだんだんとうまくいくようになるわ。」
  • (自分も妻を追いかけて死にたいと言う夫に対して)「あなたはまだ本を通して多くの幸せを人に与えられるわ、今、私達におきていることを書けばいいじゃない」「誰も信じやしないよ。それになんのために書くのさ」「絶望している人たちに希望をあたえるためよ。死は人を永遠に飲み込んでしまう大きくて暗い穴だと考えているような人のために書くの。死は愛し合う者同士を引き裂きはしないってね。再会も、理解し合うことも、話し合うことも、互いに助け合うこともできるって教えるの。望んで、信じれば、それは可能になるのだと。」
  • 「私達はあなたの頭の中で出会うのよ。忘れないでね!」「声は聞けないのかな?」「だめだと思うわ。奇跡を期待してはダメ。奇跡を起こすのは私の領分じゃないから。でも今の状態だってそう悪くないじゃない。違う?」彼女のいうとおりだ。
  • 「わかっているでしょうけど、私はずっとあなたと一緒に入られるわけじゃないのよ。もちろん自発的に来る時もあるわ。あなたがどうしているか見たり、家の中を一回りしたり、猫たちをやさしく見つめたりするためにね。でも普通は、あなたが私を必要としたり、呼んだり、話したいと思ったりした時に来るの。今日はそんなこと、全然なかったじゃない......。私がこちら側の世界に来る前、交わした約束を思い出してちょうだい。再会するには、あなたと私の両方がそれを望まなきゃならないの。努力が必要なの。わかる?ただ与えられるだけのものなんて、何もないわ。今、私はここにいて、あなたはまだそこにいる。それにはちゃんと正当な理由があるのよ」  このお説教を忘れないよう、注意しなければ。
  • 私達は少しずつ置かれている状況に慣れていった。毎朝、私は頭をはっきりさせるため、キッチンの肘掛け椅子に座ってコーヒーを飲む。来てくれるよう、カトリーヌに呼びかけるのはそれからだ。「昨夜はよく寝れたようね」とカトリーヌが言う。「うん、そうなんだ。で、きみは?」「おバカさんね。私にはもう睡眠なんて必要がないって、知っているじゃない」彼女が美しい顔を私のほうに向け、にっこりしていると私にはわかった。彼女は付け加えた。「気遣ってくれてありがとう」それを聞いて笑ってしまった。なぜなら、彼女は話している最中、理由もなくその言葉を何度も口にするからだ。「どうして、ちょっちゅうそんなことを言うの?」「だって前には十分言わなかったもの。私は何もわかっていなかったのよ。こちら側に来てから、多くを学んだり、深く理解できるようになったりしたの。だからあなたに言うの。『気遣ってくれて、ありがとう』ってね。ただそれだけよ」
  • 私は時々、彼女の目があまりにもいきわたっているのに驚かされた。彼女は言った。「よく考えてちょうだい。私があなたを見る時、私はあなたを取り囲んでいるものすべてを見ているの。わかる?昨日、あなたは、『もう旅行なんか行きたくない。独りぼっちでいろんな国に行ったりいろんな人に会ったりしても少しも楽しくないから』って言ったわよね。でも私は間違いなくあなたと一緒に行くのよ。つまり、あなたが目にするものすべてを、私も見るということなの」と。「それとこれとは話が別だよ。だいいち、きみはずっと一緒にいてくれるわけじゃないじゃないか。きみにはやらなければならないことがいっぱいあるみたいだからね!それに、絵やオブジェや歴史的建造物の前で感嘆するきみの姿も見られないんだよ。道を渡る時、きみが腕をからませてくることもないし、評判のレストランで二人して土地の名物料理に舌鼓を打つこともないんだよ。ぼくがホテルのベッドに横たわるや否や、きみは行ってしまうじゃないか。違うよ、ぜんぜん前と同じなんかじゃないよ」「それについては、改めて話し合いましょう。今朝のあなたは機嫌がわるいから」「買い物に行くけど、きみも一緒に行く?」「もちろんよ。あなたがばかなものを買わないように見張らなきゃ。まったく浪費好きなんだから。ね、困ったちゃん」最初のころ、私は道でも彼女に大声ではなしかけていた。時として、人々は私達のほうを振り向き、いぶかしそうに頭を振ったり笑ったりした。今ではほとんどの場合、心の中で語りかける。そうすると、自分が『とりつかれた人間』になったような気がする。それは奇妙な感覚だ.......。

このご主人の言い分はよくわかります。一緒に笑ったり、感動したり、泣いたりしていた人が突然いなくなった虚しさ、つなぐ手がもう無いこと......。
でも見えないだけで存在しているという真実がどれほど希望でしょうか!

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