聖和家庭

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愛は死を超えて(2) 亡き妻との魂の交流

今日もフランスの作家の書いた亡くなった奥様との交流の本の抜粋です。


  • カトリーヌは、一見してもう語り合うものも分かち合うものも何も持ち合わせていないとわかるような夫婦を見ると、悲しみと哀れみを覚えてると言っていた。奮発して、ちょっとしたお楽しみの食事をレストランで取ったりすると、そのような夫婦に遭遇する場合があった。私達はといえば、大いにしゃべり、しゃれや冗談を交わし、笑い、一緒にいる喜びに浸り、繊細なあるいは凝った料理を二人して味わう幸せに酔う。その隣りのテーブルでは、むっつり黙り込んだ夫婦が視線も合わさず、料理をつつている。「ねえ、気がついた?」とカトリーヌが言う。「前菜からデザートまで、あの人たちは一言だって口をきかなかったのよ」   そう。確かに私達は二人でいると本当に楽しかった.......。朝、コーヒーを飲んだあと、カトリーヌが現れると、私達はすぐ過去への小さな旅にでかける。出会いやこっけいな小事件、そして素敵な時を思い出すのだ。それは私達にとって、決して尽きない一番の話題だ。
  • 「好都合なことやあなたの意にかなったことが起きても、そのすべてを私のおかげと思ったりしないで。わたしはできるだけあなたを守る。それは本当よ。最高の助言をするつもり。良い選択、良い決定ができるよう、導くつもりよ。でもあなたの人生はあなた次第なの。幸運は今まで同様これからも起こるでしょうけれど、災難だって、やはり同じように降りかかるわ。幸運のほとんどは私と関係なく起きる。そして災難に関して言えば、あなたは疑っているみたいだけれど、私にはまったくどうしようもないの」
  • 「君のように『肉体を持たない霊的存在』が、どうすれば、そんなにうまくものごとに目を光らせたり、物を動かしたり、テレーズの髪をなでたりできるの?」「あら、私は『霊的存在』なんかじゃない!どう言えばいいのかしら.......いずれにせよ少なくともまだそんなふうにはなっていないわ。私の身体は、確かにあなたの目には見えない。でも肉体的な身体とまったく同様の機能が備わっているの。見ることも、聞くことも、触ることも、香りを嗅ぐ事もできる。それにもちろん、笑うことも微笑む事もできるし、愛することも、自分の考えを伝えて理解してもらうこともできるの。私が宿るこの独特の身体は、肉体的な拘束や衰えや重さから完全に開放されている。でも相違点はそれだけ。本質的に霊的な性格を持つと同時に、人間的なものでもあるの。いわば過程の一つであり、過渡的段階であり、中間的状態なの........」
  • 「もしきみが見えたとしたら、あるいはいつかぼくの前に姿を現せるとしたら、いったいどんな姿なんだろう?それはとっても稀だって君は言ってたけれど、ありえなくもないんだろ」「あなたの知っている姿と同じはずよ。でも醜さや苦しそうなところは全く無いの。愛があったからこそ、私たちはこんなふうにコミュニケーションできるんだもの。とにかくすべてを決するのは愛なの。だからあなたの目に映る私の姿は、私たちが初めてあった時の姿、そしてあなたが愛してくれたあの三十年前と同じはずよ」「見たいな.....。でも君は今のぼくを醜いって思うだろうな......」「ねえ、ダーリン、私はあなたを、初めて会った日から最後の日までずっと愛していたわ。大切なのはそれだけよ」「きみはいつも愛について話すね......」「そうよ。これからもしょっちゅう話すと思うわ。魔法の言葉であり、魔法の概念なのよ。さっきも言ったとおりすべてを決する鍵なの。この世でもあの世でもね。愛はすべての扉を開くわ。どんなに厳重に閉じ込められた扉でさえ。だから私たちを真実の愛で包んでくれ、私たちのほうも心から愛した動物たちは、ここで一緒なのよ。驚いた?」

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