聖和家庭

聖和家庭の恩恵交換の場となれば嬉しいです。

今では科学が先端に達しているために、霊界と接触できる周波数を研究しなさい

9月になりましたが、暑いですね、昨日は大阪に行ってきましたが、蒸し暑いうえ、人が多いですね。若いときは都会に憧れましたが、今は人ごみに圧倒されます。


先日、キャンプに行きましたが、自然の中で瞑想していましたら、ハラハラと涙がでました。自然には癒やしの力がありますね。定期的に行きたいものです。



夫は聖和する前、一年半ほど意識がなくて、ただ夜は目をつむり、昼は表情もなく、目をあけていました。私はきっと意識を取り戻してくれると信じていましたが......そのまま逝ってしまいました。思い出すとちょっとつらい記憶です。
それで聖和してから思ったことは、夫とどうしても会話がしたいということです。普通だったら聖和する前に、お別れの言葉を話しますよね。(そういえば訓師ニムはお互いの生殖器を触ってお別れするものだとか言ってたっけ)私達は、ありがとうとか、ごめんねとか、愛してるよとか何も言えなかったものですから。


それでネットで霊界と通ずる方法とか検索してみたりしました。その中に瞑想をする、リラックスして心を空にするというものがありました。
そういえばお父様は霊界と通信できる機械を作れとかおっしゃったような......確か周波数をあわせるんじゃなかったっけ?と思って、YouTubeで検索したら、なんと幽霊が見える周波数をひたすら流す動画がありました。毎晩聞いてみようかと思ったのですが、さすがに怖くてやめました。(すみません、危ない人ですね(_ _;))


お父様の御言葉を紹介されているブログがあったので転載します。

私が彼らに「今では科学が先端に達しているために、霊界と接触できる周波数を研究しなさい」と言いました。霊界の作用は、すべて振動により作用するというのです。振動数を通じて霊界と連絡できる霊通人の振動数を発見し、霊界を科学的に証することができる時代に入っていくので、それを研究しなさいと言いました。霊界に対する内容をずーっと説明してあげると目が丸くなるというのです。それで昨日、心理学の作用が現象世界にどのように関係していて、霊界がどのように関係しているかということを話してあげたのです。心理学が絶対的な力の作用をするというのですが、何故そうでなければならないのかという問題においては、一面しか知らないというのです。 未知の霊界を学理的に皆が知ることができる時代に行けば、宗教時代はすべて終わるのです。人類は神様を信じるなと言っても神様を信じることができる時代になります。これを誰が研究するか。これが大きな課題なのです。 

マルスム選集134巻p227 「米国が生きる道」(1985.7.20)

これ、い~ですね!

霊界は、愛が空気になっています。細胞が愛化することを体験してこそ、すべてのものが自然らしくなるのです。

久しぶりの投稿です。お盆がすぎてもまだまだ暑いですね。でも早朝は気持ちよい気温になってきた気がします☻
家族が聖和して心が落ち着くまでに人それぞれですが、平均3年かかるそうです。(家庭連合聖和会参照) 私も2年過ぎまして日中は平常心なのですが、朝目覚めた時になんともいえない虚しさや孤独感が襲ってくるときがまだあります。でも大分落ち着きました。よく笑ってますし。


2週間ほどまえに久しぶりに見た夢なのですが、同じような夢を前から見ていて、夫が行方不明になって、必死に探している夢なんです。きっと帰ってくると言い聞かせて目が覚めるパターンで、「あ、そうだった、聖和したんだったっけ。」と現実に戻ります。


数日前は部屋に飾ってある夫の写真がすごくニコニコ笑っていて、「なんかいいことあった?」と聞いてみたほどです。その日夢にも現れて、普通に日常生活を一緒に過ごしていました。


ご家族が聖和された方で、印象的な夢を見られた方がいらしたらぜひ、聞かせてください。よかったら☺


今日は息子とキャンプ場で一泊します。静かな山の中のキャンプ場なので、ゆっくり話したり、お肉を食べたり、瞑想したりしたいです。夫はアウトドア大好きな人だったのできっとついてきますよ。




最後に天聖経からのみ言葉です。p762

皆さんは、本然の愛で愛さなければならないのです。霊界に行くようになれば、霊界は、愛が空気になっています。細胞が愛化することを体験してこそ、すべてのものが自然らしくなるのです。細胞は、すべて呼吸するでしょう。愛の細胞をどこで育てていくかといえば、真の夫婦になって神様の愛を中心として育て、神様の世界に行って、愛の空気を永遠に吸いながら暮らすのです。それでこそ、死にません。愛が根本なので、愛を持てば、何でも自由に実践躬行できる世界だというのです。愛する人のために何でもつくり、何でも創造できるのです。そのような霊界があるのです。私達の本郷があります。 

愛は死を超えて(4) 亡き妻との魂の交流

シリーズ4回目です。今日で終われるかな?


「あなたが話し、説明し、示すことには、近親者の心にしっかり触れる力が必要よ。心に触れ、彼らを納得させるのが望ましい。巷では残された者が最も強く死の打撃を受けるって言われている。だからこそわかってもらいたいの。愛する人の旅立ちは訣別なんかじゃなくて、ただ状態が変わるだけだってことを。望む気持ちさえあれば、離れ離れになるのは肉体だけですむって事を。私達みたいに再びコンタクトがとれるよう試してみることだってできるって。そして仮にそれが叶わなくても、死者は無の中に消えてしまったと信じ込むのは誤りで、思いやりと深い情愛、そして誠実さと温かさにあふれる彼らは自分たちのそばに必要なだけいてくれるということもね。それを残された人たちに納得してもらえれば、もうそれだけですごいと思うわ」「つまり、きみがぼくにこうして話してくれているのは、『マニュアル』みたいなものなんだよね?」「そうよ。この本を書くのが、あなたにとってどんなに困難で苦しいか、私にはよくわかっている。だって、とてもつらい時期の思い出を呼び起こさなければならないんだから。でも他の人たちのことも考えなきゃ。私たちはラッキーだったわ。この幸運は、私たち以外の人だって手に入れられるのよ」「でも、周りを見回しても、ぼくたちみたいなケースはあまり見かけないよ.......」「繰り返しになるけど、コミュニケーションを可能にするには、3つの条件が必要よ。まず、旅立つ者と残る者の間に、深い意思の疎通と互いに対する強い真実の愛がなければならないわ。二番目に、コミュニケーションを持ちたいと望む必要がある。互いに呼びかけ、呼び声を聞いたときにはちゃんと応える。それについてはしょっちゅう話し合い約束しあって、心の準備をしておかなければならないわ。そして最後に、その可能性を信じなきゃだめ。あなたの本はそのためなの。だからあなたには説得力が必要よ」



<訳者あとがきから>
フィリップとカトリーヌは人生の晩秋にさしかかった老夫婦です。しかし互いにやりがいのある仕事を持ち、多忙ながら充実した日々を送っています。深く愛し合う二人は多くの良き友や愛猫に囲まれ、申し分ない幸せのなかにいました。そんな二人に突然、不幸が襲いかかります。カトリーヌが癌に侵されたのです。迫りくる死を前に、二人はこれからもずっと一緒に生きていこうと誓います。そして実際、カトリーヌはこの約束を守ります。彼女は死してもなお夫とコミュニケーションを取り続け、彼を導き、守り、日々の生活を共にしたのです。『愛は死を超えて』は、愛する近親者の死に絶望している人たちを励まそうと、著者フィリップ・ラグノーが自分自身の体験を綴った物語です。しかし著者の思いはそれだけにとどまらず、死を恐れる人や病に苦しむ人、あるいは日常生活の重みに負けそうになっている人など、この世に生きるすべての人へ向けられています。カトリーヌはフィリップに言います。「生まれてきた意義を果たせる限り、課された責任を負える限り、加齢による病や故障に耐えうる勇気のある限り、逃げずに生に立ち向かいなさい」と。死を扱った書物でありながら深刻さや暗さはほとんどなく、読後いつまでも残るのはなんともいえない幸福感です。それは本書が死に対する暗いイメージを払拭し、死を肯定的にとらえることで、目の前の生にも積極的に取り組む意欲を奮い起こしてくれるからだと思います。