聖和家庭

聖和家庭の恩恵交換の場となれば嬉しいです。

妻の昇華を通して悟ったこと 酒井達夫(1800双)

今日は聖和家庭の証です。2006年のファミリーに載ったものだそうですから15年以上前ですね。学ぶところは多いです。印象に残ったところを太字にしました。


わたしの最大の失敗


 まるで巨大な台風に、のみ込まれたような混乱にあったわが家も、今は何事もなかったかのように普通の生活の中にあります。ただ違うのは、妻がこの地上にいないことだけです。

 妻が倒れて最初に思ったことは、「これは自分の信仰生活の中で、最大の失敗であった。」ということでした。


 「あす死ぬか、きょう死ぬか分からないのです。」というみ言は、何度も聞き、何百回も訓読していたにもかかわらず、自分のこととしてまったく考えていなかったからです。

 妻の父親も脳出血で亡くなり、妻も高血圧であったため、妻から「わたしのほうが、あなたより先に昇華するからね。」と言われていたのです。でも、そのことを本気で考えていませんでした。


 妻の昇華後、わたしも子供たちも、妻(母親)がいつも一緒にいることを感じています。時々、夢に現れることもあります。

 しかし、実際の生活は大変です。まず経済面で厳しくなりました。男性のわたしが大変だと思うのですから、夫が先に昇華した家庭は、もっと大変だと思います。


 妻が昇華したことでいちばんつらいことは、話し相手がいないことです。周囲の人も、どのように話しかけていいのか分からないためか、遠慮するので孤独になりがちです。

 どちらかが先に昇華するのは、だれもが通過する道ですから、昇華者家庭に対して昇華を特別なことと思わず、むしろ積極的に交流してほしいと願っています。


「いつも一緒、  ずっと一緒」を実感


 話し相手を失ったわたしは、霊界の妻がわたしと共にいるとイメージして、いつも語りかけるようにしました。

 真のお父様のみ言や大母様のメッセージには、「統一教会では霊界にいる妻(夫)と地上にいる夫(妻)が会話しながら生活することができ、霊界の絶対善霊が地上に降りてきて協助する。」と語られています。


 妻がいつもわたしと一緒にいることをイメージできるように、妻の写真を部屋のあちこちに張り出しました。また、妻の写真を手帳と財布に入れ、いつも持ち歩くようにしたり、携帯電話の画面にも妻の写真を取り込んでいます。


 外的にでも、このようにすることで、妻のことを考えると、すぐに妻の笑顔がイメージできるようになってきました。  今では、わたしが「ママ」と呼びかけると、笑顔で「なに?」と微笑んでくれる妻を強く感じることができます。


 こうして、子供のこと、仕事、氏族復帰、信仰のことなどを一日じゅう妻と語り合っています。

 「いつも一緒 ずっと一緒」を書いている時のことです。初めは、わたしの立場から書いていたのですが、途中でつらくなって書けなくなってしまいました。


 渋谷駅前の交差点を歩いている時、霊界にいる妻から「わたしのことを書いているのだから、わたしの立場になって書いたほうがいいのでは?」という思いを感じたのです。

 それで、妻の立場で書き始めたのが、『ファミリー』で連載した「いつも 一緒ずっと一緒」です。


 書きながら、妻の考えや思いを強く感じ、自分が書いたというより、霊界から書かされたというのが実感です。

 妻が昇華して2年間は、自分が立ち直ることで精いっぱいでした。  しかし、昨年(2005年)、真の父母様の世界巡回が始まると、妻も真の父母様と共に世界を巡回していると確信するようになりました。


 統一教会員として地上で生きていた人間が、霊界に行ってこの大切な時代に、どこかでひっそりとしているでしょうか?  興進様に率いられ、イエス様やお釈迦様や孔子や聖人義人たちと共に、張り切ってみ旨のために最前線で働いているに違いありません。妻から、その喜びと波動が伝わってくるのです。

 以前は、霊界と地上界には越え難い壁があり、よほどのことがない限り、霊界から地上にコンタクトすることは難しく、恨みや怨念を抱えた霊の働きしかないような時代だったと思います。


 しかし、今は神様の願いが地上に果たされる時となり、霊界の壁が壊されて、天使と共に先祖や宗教界などの多くの霊が、地上に降りて働くようになっています。

 妻は、まったく霊的ではありませんでしたが、わたしをはじめ子供たちや親戚、友人の所に、妻が現れて働くことができるのも、このような時代的な恩恵があるからでしょう。


 わたしは、妻の昇華を通して、人間の魂は消えたり、どこかに行ったりするのではなく、親なる神様の元に喜んで帰っていくということを実感することができました。

 帰歓式で思わず涙ぐみそうになった時、「パパ、わたしは今喜んでいるんだから、悲しまないで喜んで送ってちょうだい。これから行こうとしている所が、あまりにも素晴らしくて、本当に驚いているの。」という、妻からの強い思いを受けて驚きました。


 こうした妻の思いは、それからいろいろな場面で感じられるようになってきました。

 それだけでなく、霊界と地上とで互いに語り合いながら、まるで生きている時と同じような交流ができることも体験しました。


 天国とは、地上であれ霊界であれ、夫婦が神様の愛を中心にして永遠に愛し合っていく所であると感じられるようになったのです。

 死は、もはや怖いものではなくなり、わたしにとってはむしろ希望であり、安らぎであり、喜びですらあるようになりました。


 イエス様の弟子たちも、イエス様の十字架以降、同じように感じたのではないでしょうか。

 相手が目の前にいないだけに、生きていた時よりも相手のことをよく考え、思っています。そして、思いで交流するだけでなく、早く本当に会いたいと思っているのです。



 地上の夫婦生活では、相手のことを忘れたりすることもありましたが、相手が目の前からいなくなると、恋しい思いが強まるのです。自分が霊界に行った時は、きっと熱々の夫婦関係を築くことができることと楽しみにしています。


 妻が昇華して困ったこと


 妻が昇華して、いちばん最初に困ったのが、昇華式に使う遺影に適当なものがないということでした。パスポートや免許証以外に顔写真を撮影している人は、あまりいないと思います。

 この教訓から、わが家では、一年に一回、家族一人ひとりの昇華式用の顔写真を撮影することにしました。

 最後のお別れくらい、自分が気に入った最高の笑顔であいさつしようと思うからです。それから、親や親戚の葬儀用の写真も撮影してあげるようにしました。


 わたしの父や妻の母は、「年を取って顔がしわだらけだから、この顔ではもう嫌だ。」と断られましたが、叔母からはとても喜ばれました。教会の親しい人からも喜ばれています。

 次に困ったのが、妻の銀行カードの暗証番号や、生活の諸経費の支払いでした。


 妻の場合、くも膜下出血で意識不明となり、そのまま昇華したのですから、家計のことが まったく分からなかったのです。

 次に、妻の昇華を伝えるべき人について困りました。妻の親戚や年賀状が来ている範囲は知らせたのですが、それ以外の人に伝えることができなかったのです。

 妻から、「わたしのほうが、先に昇華するからね。」と時々言われていましたが、その時は「なんて嫌なことを言うんだ。」と思った程度です。


 しかし、病気だけでなく交通事故や突然死もあるわけですから、夫婦はがんの告知はどうすべきであるとか、昇華した場合の具体的対処方法についても深く話し合い、情報交換しておく必要があります。


 貴重な体験を生かして


 真のお父様は今年一月、ハワイで配偶者が昇華した男性に、「昇華した相手からの協助をいつも祈るように。決して忘れてはいけない。そしてよく奥さんと交流しないといけない。」

と語られました。

 霊界と地上界一体化の摂理の中で、昇華者のいる家庭の役割は大きいと思います。

 愛する家族の昇華に直面した家庭は、旧約聖書のヨブと同じように、神様への疑問や不信を抱きやすくなります。


 しかし、その思いを時間をかけながらも乗り越えた時、生命の重さや生きることの大切さ、人への思いやりを強く持つようになります。

 わたしは、このような貴重な体験を、これからの人生に生かしていきたいと思っています 。


                    ファミリー2006年8月号

愛は死を超えて(3) 亡き妻との魂の交流

シリーズ3回目です。今日も本からの抜粋です。


  • 「これはどうしても聞いておきたいんだけれど、ぼくがきみを呼んでも、迷惑じゃないかい?なにか大切なことの邪魔をしたりしていない?」「いいえ、それはないわ。ここでは皆、使命を帯びているの。私の使命はまず、あなたの面倒を見ること。これは私自身が望んだことでもあるんだけれどね。あなたには必要だもの。それから、猫たちや友人たちを見守るのも私の使命よ。もっと先になれば別な使命を受けると思うわ」「例えばどんなもの?」「わからない......。でも証言を使命にしている者もいるわ。あら!お湯があふれているわよ!」「わっ!猫たちの魚を煮ていたんだった!」「見てご覧なさい、なんてざまなの。全部拭き取るしかないわね。調理プレートの調節パネルと扉の抑え具を拭うの、忘れないでね。放おっておくと、ひどい臭いがするから。もう行くわ。ジャクリーヌの具合が良くないの。私の助けが必要みたい」「ねえ、『あの世』には、怖いものなんて何もないのかい?」「あるわけないじゃない!まったく逆ね。何もかもが私を安心させてくれるわ。じゃあまたね」
  • 私達の世界は、矮小で物質的で閉ざされている。そして私達の貧弱な言葉は、その世界を超越するものすべてを歪曲してしまうのである。「カトリーヌは私に語った」とか、「カトリーヌはそのことについて話した」とか、「ぼくは答えた」とか、私は地上の言葉を使って書いている。しかし、カトリーヌの声を実際に聞いているわけではない。一度だって耳にしてはいないのだ。彼女の言葉は、私には関係なく、私の脳に届くのである。これについてはもう信じてもらうしかない。私の心をよこぎっている彼女とはまったく無関係な考えが、彼女自身の言葉によって中断される時さえある。最初は手探り状態だった。互いの表現の仕方が競合し、影響しあったこともあった。しかしそのような状態を抜け出し、今私は、彼女のものであるとはっきり識別し得る非常に強く明確な言葉を感じ取れるようになった。そしてそれらはすべて完璧な静寂の中で行われるのであり、なんらの雑音も入ってはこない........。彼女は言う。「私達のコミュニケーションがどんなものか、わかるように書くだけでもとても難しいと思うの。だから、あなたがこちらの世界を垣間見れるよう努力している私の大変さや、それを解読しようとしているあなた自身の大変さは、もう言うまでもないわね。私は苦しんでいる人へ、何らかのメッセージをもたらそうとは思っていない。あの世で何が待っているのかを、人々に教える役目は負っていないから。それにはちゃんとしたわけがあるの。私は、あなたにも理解できる、人間的レベルの簡単な事実しか話さない。だいいち、それ以外は話しちゃいけないの。でも、私が話したことをあなたは周りの人に話してね。それは愛や希望や信仰をもたらすから。聞いた人は安心し、慰められるわ。心と魂に安らぎを感じながらこの世からあの世へと移るのを、手助けできるのよ」
  • 「前にきみは言ったよね、猫が私達に抱く無私無欲の深い愛と、それに応えるぼくたちの愛ゆえに,猫はあの世に行けるんだって。それに、あの世に行っても、猫はもともと何の使命も負わないんだって。でもそれって、ばくたちみたいじゃない人にはちょっと認め難いんじゃないか?」「前にも話したと思うけれど、愛はすべての扉を開く鍵なの。今、私とあなたを一時的に隔てている扉さえ開けられる。いいえ、正確に言えば、あの世とこの世を隔てている扉こそを開く鍵なの。私のいる世界は、『地上』の言葉を使って言えば愛の王国よ。もし、神との一体化というこの光輝ける発見を、地上で愛し合ったものたちと一緒に味わえないとするならば、それは本当に完全な幸せって言えるかしら?子供が二人も欠席してるのに、非の打ち所ない家族会議なんて言えるかしら?言えないわよね。それと同じよ。」



愛は死を超えて(2) 亡き妻との魂の交流

今日もフランスの作家の書いた亡くなった奥様との交流の本の抜粋です。


  • カトリーヌは、一見してもう語り合うものも分かち合うものも何も持ち合わせていないとわかるような夫婦を見ると、悲しみと哀れみを覚えてると言っていた。奮発して、ちょっとしたお楽しみの食事をレストランで取ったりすると、そのような夫婦に遭遇する場合があった。私達はといえば、大いにしゃべり、しゃれや冗談を交わし、笑い、一緒にいる喜びに浸り、繊細なあるいは凝った料理を二人して味わう幸せに酔う。その隣りのテーブルでは、むっつり黙り込んだ夫婦が視線も合わさず、料理をつつている。「ねえ、気がついた?」とカトリーヌが言う。「前菜からデザートまで、あの人たちは一言だって口をきかなかったのよ」   そう。確かに私達は二人でいると本当に楽しかった.......。朝、コーヒーを飲んだあと、カトリーヌが現れると、私達はすぐ過去への小さな旅にでかける。出会いやこっけいな小事件、そして素敵な時を思い出すのだ。それは私達にとって、決して尽きない一番の話題だ。
  • 「好都合なことやあなたの意にかなったことが起きても、そのすべてを私のおかげと思ったりしないで。わたしはできるだけあなたを守る。それは本当よ。最高の助言をするつもり。良い選択、良い決定ができるよう、導くつもりよ。でもあなたの人生はあなた次第なの。幸運は今まで同様これからも起こるでしょうけれど、災難だって、やはり同じように降りかかるわ。幸運のほとんどは私と関係なく起きる。そして災難に関して言えば、あなたは疑っているみたいだけれど、私にはまったくどうしようもないの」
  • 「君のように『肉体を持たない霊的存在』が、どうすれば、そんなにうまくものごとに目を光らせたり、物を動かしたり、テレーズの髪をなでたりできるの?」「あら、私は『霊的存在』なんかじゃない!どう言えばいいのかしら.......いずれにせよ少なくともまだそんなふうにはなっていないわ。私の身体は、確かにあなたの目には見えない。でも肉体的な身体とまったく同様の機能が備わっているの。見ることも、聞くことも、触ることも、香りを嗅ぐ事もできる。それにもちろん、笑うことも微笑む事もできるし、愛することも、自分の考えを伝えて理解してもらうこともできるの。私が宿るこの独特の身体は、肉体的な拘束や衰えや重さから完全に開放されている。でも相違点はそれだけ。本質的に霊的な性格を持つと同時に、人間的なものでもあるの。いわば過程の一つであり、過渡的段階であり、中間的状態なの........」
  • 「もしきみが見えたとしたら、あるいはいつかぼくの前に姿を現せるとしたら、いったいどんな姿なんだろう?それはとっても稀だって君は言ってたけれど、ありえなくもないんだろ」「あなたの知っている姿と同じはずよ。でも醜さや苦しそうなところは全く無いの。愛があったからこそ、私たちはこんなふうにコミュニケーションできるんだもの。とにかくすべてを決するのは愛なの。だからあなたの目に映る私の姿は、私たちが初めてあった時の姿、そしてあなたが愛してくれたあの三十年前と同じはずよ」「見たいな.....。でも君は今のぼくを醜いって思うだろうな......」「ねえ、ダーリン、私はあなたを、初めて会った日から最後の日までずっと愛していたわ。大切なのはそれだけよ」「きみはいつも愛について話すね......」「そうよ。これからもしょっちゅう話すと思うわ。魔法の言葉であり、魔法の概念なのよ。さっきも言ったとおりすべてを決する鍵なの。この世でもあの世でもね。愛はすべての扉を開くわ。どんなに厳重に閉じ込められた扉でさえ。だから私たちを真実の愛で包んでくれ、私たちのほうも心から愛した動物たちは、ここで一緒なのよ。驚いた?」